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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年6月1日〜10日

6月 1「使徒言行録28710
 それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。
(使徒言行録28章10節)
昨日の場面で、パウロは「神さまだ!」と言われます。それはパウロが毒蛇に噛まれたにもかかわらず、何も起こらなかったからです。その後パウロはマルタ島の長官プブリウスの元に行きます。
プブリウスはパウロたちを歓迎し、三日間もてなします。プブリウスはパウロを神として崇めるのではなく、普通に交際していたようです。そのときにパウロは、プブリウスの父をいやしました。
そのことを知って島の他の病人もやって来たので、パウロはその人たちもいやしました。しかしパウロはそのとき、イエス様の名によって願ったのでしょう。自分に不思議な力があるのではなく、イエス様が働いてくださることを心から信じていたのだと思います。
6月 2使徒言行録281116
 わたしたちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして、わたしたちはローマに着いた。
(使徒言行録28章14節)
パウロたちがマルタ島に来てから三か月が過ぎ、冬が明けました。彼らはようやく出港することになります。彼らの船にはディオスクロイの船首像がついていました。ディオスクロイとはゼウスの双子の子という意味です。
パウロにとっては、異教の神々です。しかしパウロは、だれが自分たちを守り導いてくれるかはよく知っていました。「船からその偶像をどかせ!」とは叫ばずに、パウロはその船に乗り込みます。
そして彼らはシラクサ、レギオン、プテオリを経て、とうとうローマに到着しました。途中の場所にもきょうだい(仲間)たちがいて、パウロを歓迎したようです。そしてパウロはローマで、いわゆる軟禁状態におかれました。
6月 3使徒言行録281722
 あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。
(使徒言行録28章22節)
ローマにも、多くのユダヤ人がいたようです。パウロは彼らに対して、宣教と釈明をしようとしていました。宣教とはイエス様の十字架と復活を伝えること、釈明とはエルサレムで囚人としてローマの手に渡されたが無実であるということです。
ローマにいるユダヤ人たちは、パウロがどうして捕らえられたかについて聞かされていませんでした。ただイエス様を信じる「分派」について、反対があることは知っていたようです。
ユダヤ人たちはパウロに対して、直接話を聞かせてほしいと願います。うわさなどをうのみにせず、ちゃんと話を聞いて判断したいというのです。この姿勢は、わたしたちも見習いたいものです。
6月 4使徒言行録282328
 だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
(使徒言行録28章28節)
パウロは大勢のユダヤ人たちに、神の国とイエス様について語りました。話を聞いて納得した人もいれば、信じようとしなかった人もいました。わたしたちの間でもそうです。同じことを聞いても、受け入れる人とそうでない人がでてきます。
パウロはその状況を、イザヤ書を通して説明します。「心が鈍り、頑なになっているからだ」というのです。出エジプト記のときに主がファラオの心を頑なにされ、主の栄光が現わされた場面を思い起こします。
ユダヤ人の心が頑なになった結果、福音は異邦人へと向けられます。旧約聖書では救いはイスラエルから始まり、異邦人に広がると考えられていました。それが逆転するのです。後の者が先になるのです。
6月 5使徒言行録283031
 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
(使徒言行録28章31節)
今年の1月1日から読み始めた使徒言行録ですが、ついに最終回です。パウロはローマで丸二年間、自由に宣教していたようです。また様々な場所で宣教する仲間に、手紙も書いたことでしょう。
使徒言行録は、「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」で終わっています。つまりパウロの裁判がどうなったのか、どのような最期を遂げたのかなどは書かれていません。聖書はそこを重要視していないのです。
よく使徒言行録は今も続いていると言われます。たくさんの人たちがパウロの思いを引継ぎ、福音宣教者として歩んできました。そしてわたしたちもイエス様を証しする一人一人として、使徒言行録にその1ページを記していきましょう。
6月 6「ローマの信徒への手紙117
 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。
(ローマの信徒への手紙1章6節)
今日から「ローマの信徒への手紙」を読み進めていきます。この手紙はパウロが書いたもので、使徒言行録18章にあるコリント滞在中に書かれたと考えられています。パウロはそのとき、1年半コリントにいました。
その時点でパウロはまだ、ローマを訪れたことはありませんでした。つまりこの手紙は他の多くの手紙と違い、まだ行ったことのない場所の人々に対して書かれたということです。さらにローマは、当時とても強大な国であり、異邦人の総本山ともいえる場所でした。
その地に住む人々に向けて、パウロは真っ向から福音を伝えます。他のパウロの手紙は連名で書かれることが多いのですが、ローマ書は「パウロから」と、自分の責任において綴っていくことを宣言します。明日からゆっくり、内容を見ていきましょう。
6月 7ローマの信徒への手紙1815
 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
(ローマの信徒への手紙1章10節)
コリントやエフェソには、パウロは直接行って福音を宣べ伝え、「教会共同体」をつくっていきました。ですからそこに宛てた手紙は、教会で奉仕をしている長老などに向けて書かれていたと思います。
しかしパウロは、いまだローマには行くことができず、そこがどのような状況なのかよく分かっていなかったでしょう。世界各地にはディアスポラと呼ばれる離散したユダヤ人が住んでいました。そしてイエス様を信じた人たちも、ローマにいたようです。
パウロがその人たちに手紙を書いた大きな理由は、「お互いに持っている信仰によって、共に励まし合いたい」ということでした。直接会って霊の賜物を分け与えたいという願いがなかなか叶えられない中、パウロは手紙によって力づけようとするのです。
6月 8ローマの信徒への手紙11617
 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。
(ローマの信徒への手紙1章16節)
日本におけるキリスト教徒の割合は、1%だと言われています。さらに礼拝に参加するなど能動的に教会に属している人は、さらに少なくなってしまうと言われます。つまり日本では、キリスト教はマイノリティです。
パウロが福音を宣教していたころ、イエス様を信じる人はまだ多くありませんでした。しかも信仰を公にすると、迫害される危険さえありました。その中でパウロは、「わたしは福音を恥としない」と語ります。
自分が信じている「福音」が真実であることを知っているからこそ、どんな状況の中でもその福音を語ることができるのです。わたしたちはどうでしょうか。福音を恥としてはいないでしょうか。
6月 9ローマの信徒への手紙11823
 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
(ローマの信徒への手紙1章21節)
パウロはまず、人間の罪について書きます。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して」、神さまは怒りを現されるのだとパウロは述べます。具体的にはどのようなことを指すのでしょう。
神さまを拒否するということも、この中には含まれそうです。神さまの存在を知っていながらそれを否定し、自分の思いを優先して生きていく。それはわたしたちの中にもあることなのかもしれません。
特にイエス様をこの世に遣わし、わたしたちの代わりに罪を贖い、十字架につけられた神さまの思いを知りながら、感謝するどころか退けていく人間の罪をパウロは問います。しかしパウロ自身も、最初はイエス様を受け入れることはできませんでした。
6月 10ローマの信徒への手紙12427
 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
(ローマの信徒への手紙1章24節)
パウロは人間の罪について続けます。人間が心の欲望にまかせて汚れていきます。「造られた物を拝む」というのは、偶像礼拝のことです。その対象は像だけではなく、お金や名誉なども入るのでしょう。
そしてパウロは、男性どうしの「恥ずべきこと」について言及します。この箇所があるため、聖書は同性愛に対して否定的だとか、パウロは保守的だとか、そのような議論がなされることがあります。
しかしこの時代の性や身体に対する理解と現代の理解とは、全く違います。聖公会は考え続ける教会です。その時代や考え方に合わせて、聖書の言葉を捉え直していくことが大切なのです。「イエス様ならどうするか」、そのことを念頭に置いて考えていきましょう。

バナースペース

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