
| 5月21日「使徒言行録26:19〜23」 | ||||
| つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。 (使徒言行録26章23節) |
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| パウロはアグリッパ王に対し、自分は「天からの啓示」に背かず、宣教してきたと語ります。天からの啓示とは、「あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」というものでした。 | ||||
| 神さまはわたしたちを、それぞれの場所に遣わされます。でもそれが本当に神さまの導きなのか、不安なときもあります。それでも、「蒔かれた場所で咲こうとする」ことが大切なのでしょう。 | ||||
| パウロはアグリッパ王に、すべて語り終えました。その内容は命乞いではなく、神さまの恵みを証しするものでした。自分の身の危険も顧みずに福音を伝えるこの姿に、少しでも学ぶことができればと思います。 | ||||
| 5月22日「使徒言行録26:24〜29」 | ||||
| パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」 (使徒言行録26章24節) |
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| キリスト教の中で、「理に適っていない」と思われるものはないでしょうか。たとえば聖霊は目に見えず、科学的に証明することができません。また三位一体という考え方も、説明が難しいです。 | ||||
| そしてイエス様が復活されたということ。実際に肉体をもったイエス様が日常的にわたしたちの周りにおられるわけではないので、具体的に伝えることは大変難しいです。しかし多くの人は思っているでしょう。「いや、それでもイエス様は復活されたのです」と。 | ||||
| パウロの言葉を聞いてフェストゥスは、パウロは気が変になってしまったと言います。しかしパウロはそれが伝わらなかったとしても、真っすぐに語ります。そしてあとは神さまにお委ねするのです。 | ||||
| 5月23日「使徒言行録26:30〜32」 | ||||
| アグリッパ王はフェストゥスに、「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と言った。 (使徒言行録26章32節) |
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| アグリッパ王に対するパウロの弁明が終わりました。弁明というよりも、信仰告白という側面が強いものではありましたが。そしてアグリッパ王と共にフェストゥス総督、ベルニケや陪席の人たちも一緒に立ち上がりました。 | ||||
| 彼らの判断は、「パウロは死刑や投獄には当たらない」というものでした。ユダヤの人たちが騒いでいるような罪は、パウロには見い出せなかったというのです。そもそもローマの人たちには、パウロをどうしても裁かなければいけないという思いもありません。 | ||||
| しかし彼らは、パウロを釈放することができませんでした。それはパウロが、ローマ皇帝に上訴していたからです。最高裁に訴えられたものを勝手に地方裁判所が裁いてはいけないように、パウロの身柄はローマに預けられるのです。 | ||||
| 5月24日「使徒言行録27:1〜8」 | ||||
| ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。 (使徒言行録27章6節) |
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| いよいよパウロは他の囚人と共にイタリアに向けて船出します。「わたしたちは」と書かれているので、パウロには同行者がいたようです。(伝統的にはルカ福音書と使徒言行録を書いた「ルカ」だと言われます。) | ||||
| パウロたちは百人隊長ユリウスに引き渡されます。彼はローマ兵を率いる人物ですが、パウロに親切にしていたようです。パウロは囚人として扱われていましたが、彼には罪を見いだせないと聞いていたのでしょう。 | ||||
| ローマへの航行は、大変だったようです。向かい風にあい、幾日もの間船足ははかどらず、さらに風に行く手を阻まれました。まるでわたしたちの人生のように、幾多の困難を乗り越えながらパウロは進むのでした。 | ||||
| 5月25日「使徒言行録27:9〜12」 | ||||
| かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。 (使徒言行録27章9節) |
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| 「良い港」についたときには、かなり当初の予定よりも遅れていたようです。「すでに断食日も過ぎていた」とありますが、断食日はユダヤ暦で9月後半から10月初旬にあたります。冬の初めです。 | ||||
| その時期から年が明ける3月ごろまでは、航海はおこなわれていなかったようです。寒さと風によって、危険だったのでしょう。パウロはこれまでの宣教旅行の中で、この時期の航海はやめた方がよいと経験していました。 | ||||
| ところが船長や船主は、船出した方がよいと主張します。その理由は、今いる港は冬を越すのに適していなかったからです。少し無理をしてでも、先にあるフェニクス港で過ごす方がよいと思ったのです。その決断は、吉と出るのでしょうか。 | ||||
| 5月26日「使徒言行録27:13〜20」 | ||||
| 幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。 (使徒言行録27章20節) |
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| 穏やかな風に誘われ、船は出港しました。しかし間もなく、暴風が吹き荒れます。わたしたちの人生においても、同じようなことが起こります。大丈夫だろうと安心していたら、ひどい目に遭ってしまうことが起こるのです。 | ||||
| エウラキロンは、日本でいう台風のことでしょう。今のように気象衛星によって、その進路を解析することなどできません。またパウロたちが乗っていたのは、2000年前の船です。暴風の中ではひとたまりもなかったでしょう。 | ||||
| 彼らは積み荷を捨て始め、そして船具も投げ捨てます。しかし風は止まず、彼らは希望をも見失ってしまいました。パウロの言うことを聞いて、冬の出航を断念すべきだったのです。でも今は、そんなことを言っている場合ではありませんでした。 | ||||
| 5月27日「使徒言行録27:21〜26」 | ||||
| ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。 (使徒言行録27章25節) |
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| 案の定、パウロの言ったとおりになりました。パウロの言うことさえ聞いておけば、大きな損失もなかったかもしれないのです。しかしパウロはそれをしつこくとがめることはしませんでした。 | ||||
| パウロはそれよりも船員たちに、希望を語ります。その希望は希望的観測ではなく、神さまから与えられたものでした。その確信を元に、パウロは船に乗っているすべての人を導こうとします。 | ||||
| わたしたちも道に迷ったときに欲しいのは、「だからこっちに来いと言ったでしょ」という叱責ではなく、「大丈夫、神さまが守ってくださるから」という約束であり、希望なのではないでしょうか。 | ||||
| 5月28日「使徒言行録27:27〜32」 | ||||
| 船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。 (使徒言行録27章29節) |
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| 1オルギアは約1.85mです。パウロの乗る船は、水深37mから水深27.75mへと、明らかに島へと近づいていきます。ただそれに気づいたのは真夜中のことだったので、暗礁に乗り上げないために夜明けを待ちます。 | ||||
| 暗闇の中で自分の思いだけで行動しても、上手くいかないことが多くあります。イエス様は光として、わたしたちの人生の中に介入されました。その光をたよりに、わたしたちは歩みたいものです。 | ||||
| そのとき船員たちが、小舟を使って船から逃げ出そうとしました。自分たちだけ助かればいいという考えが、そこにはありました。しかしパウロはそれをやめさせます。大きな船を動かす人がいなければ、全員が助からないからです。 | ||||
| 5月29日「使徒言行録27:33〜38」 | ||||
| だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。 (使徒言行録27章34節) |
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| マタイによる福音書10章30節に、「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」という聖書の言葉があります。神さまはそれほどまでにわたしたちのことを愛し、守ってくださるということです。 | ||||
| パウロも船にいた人たちに、「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはない」と約束します。その約束を信じ、泳ぐ体力をつけるために、ずっと我慢していた食事をとるようにしなさいと勧めるのです。 | ||||
| 船には276人もの人が乗っていました。その人たちを養うための食料の備蓄は、たいへんな量だったでしょう。食事のあと、それらの備蓄も海に捨てます。少しでも船を浮かせ、陸地に近い場所まで進むためです。 | ||||
| 5月30日「使徒言行録27:39〜44」 | ||||
| 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。 (使徒言行録27章44節) |
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| 朝になりました。暗闇に光が差し込むとき、わたしたちは大きな安心感を得ることができます。彼らの目に飛び込んできたのは、砂浜のある入り江でした。しかし彼らはそこに行く途中、浅瀬にぶつかってしまいます。 | ||||
| 「もう大丈夫」と思って進んでいたときに、また暗礁に乗り上げる。まるでわたしたちの人生のようです。その状況の中で、船員は囚人を殺そうとします。勝手に逃げ出したら大変だし、自分たちの責任を問われると思ったのでしょう。 | ||||
| しかし百人隊長は、それを思いとどまらせます。パウロも囚人の一人だったのでその命を助けたかったのか、すべての人を守るという神さまの約束を信じたのでしょうか。そして結果的に、全員が上陸することができました。 | ||||
| 5月31日「使徒言行録28:1〜6」 | ||||
| 体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神様だ」と言った。 (使徒言行録28章6節) |
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| パウロたちが流れ着いたのは、シチリアから100qほど南にある小さな島マルタでした。マルタの人たちは、難破船から泳いできたパウロたちに対して、非常に親切に接してくれたようです。 | ||||
| そのときパウロの手に、毒蛇(前の聖書では「蝮」)が噛みつきました。蛇はアダムとエバの物語にも出てきますが、悪魔の化身とも考えられ、恐れられていました。その蛇が噛みつくのだから、きっとパウロは悪い人間だと人々は考えます。 | ||||
| まさに「因果応報」という考え方です。しかしパウロの身には何も起こりません。蛇を火の中に投げ入れ、涼しい顔をしているパウロのことを、人々は続いて「神さまだ」と言います。パウロはそれを、否定したのでしょうか。 |