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日ごとの聖書

ショートメッセージ 〜2024年4月21日〜30日

421「使徒言行録2116
 わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは“霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。
(使徒言行録21章4節)
パウロはエフェソを離れ、エルサレムに向かって進みます。1〜3節には多くの地名が出てきます。聖書の巻末にある聖書地図(ついていない聖書もあります)をたどっていくと、いかに大変な船旅だったかがわかります。
ティルスに7日間滞在しているパウロに対し、そこにいた弟子たちはエルサレムに行かないように繰り返し言います。彼らは自分の思いを言っているのではなく、霊に促されて語っていました。
パウロはその言葉に反して、旅を続けます。一見すると、パウロは霊の導きに逆らっているようにも思えます。それとも霊はパウロに、これから進む道は険しいということを伝えようとしたのでしょうか。
422使徒言行録21714
 翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。
(使徒言行録21章8節)
聖書は福音宣教者フィリポのことを、「例の七人の一人である」と紹介します。「例の七人」とは使徒6章1〜7節にある、食事の世話などをするために任命された人たちです。その中には石を投げつけられて殉教した、ステファノの名前もありました。
ステファノが殺害されたころ、パウロ(その頃はサウロと呼ばれています)はキリスト者を迫害していました。さらにパウロはステファノの殺害に賛成し、その場にいて石を投げる人々の上着の番をしていました。フィリポとパウロはどんな会話をしたのでしょうか。
預言者アガボを始め、パウロに同行していた人さえも、エルサレム行きをやめるように懇願します。どこに神さまのみ心があるのか、だんだん不安になりそうですが、それでもパウロは説得を受け入れませんでした。
423使徒言行録211516
 数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。
(使徒言行録21章15節)
多くの人々が、パウロのエルサレム行きを止めようとしていました。パウロと一緒に行動していた人たちも、エルサレム行きには反対していました。しかしパウロは説得を聞き入れようとはせず、エルサレムに向かいます。
もしあなたが同行者だったら、どうしていたでしょうか。「行くなら一人で行ってきなさい」と、冷たく別れを告げはしないでしょうか。エルサレムに行けば、危険なことが起こることは明白なのです。
聖書には、パウロと共に多くの人がエルサレムに向かったと書かれています。「主のみ心がおこなわれますように」と祈りつつ、パウロを見捨てることはしませんでした。パウロはうれしかったことでしょう。
424使徒言行録211726
 この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。
(使徒言行録21章21節)
パウロはエルサレムで、ヤコブや長老たちに会います。そして異邦人(ユダヤ人以外の人たち)の間で起こった神さまのみ業について報告します。エルサレム教会の人々は、それを手放しで喜んだでしょうか。
人々はこれを聞いて神さまを崇めますが、あわせてパウロに苦言を呈します。それは「あなたは異邦人の間にいるユダヤ人に対して、割礼などの律法を守るなと言っているだろう」ということです。ただ聖書を読む限り、パウロはそのようなことは言ってはいません。
ヤコブたちはパウロが律法を守る人間だということを周りに知らしめるために、誓願を立てた人が頭をそるための費用を出すように提案します。さらにパウロにも身を清めるように言います。「ユダヤ人を得るために、ユダヤ人のように」なるのです。
425使徒言行録212730
 彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。
(使徒言行録21章29節)
清めの期間が終わろうとしていたとき、事件は起こりました。パウロは神殿の境内にいたのですが、そのとき神殿の境内にいたトロフィモというギリシア人を、パウロが連れてきたとユダヤ人たちが勘違いしてしまったのです。
エルサレムにいたユダヤ人は、元々パウロを批判的な目で見ていました。だから以前パウロと一緒にいたトロフィモが神殿の境内にいただけで、「これはパウロの仕業だ」と騒ぎ立てたのです。
わたしたちにも、「思い込み」で物事を判断してしまうことがあると思います。「あの人は普段からああだから」といった先入観によって、誤った方向に事態が進むこともあります。パウロはユダヤ人に、捕らえられてしまいました。
426使徒言行録213136
 しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた。
(使徒言行録21章34節)
ユダヤの人々は、パウロを殺そうとします。彼らの怒りは、神殿をパウロが汚したという思い込みから始まり、それが増長して膨れ上がっていきました。「暴動」はそのように起こっていくのです。
しかしローマ兵がやってくると、彼らはパウロを打ち叩くのをやめます。自分たちの手を、血で汚したくないのでしょうか。イエス様が捕らえられたとき、ポンティオ・ピラトに責任を負わせようとした姿と重なり合います。
そして大勢のユダヤの民衆は、「その男を片づけろ」と叫びます。人々がイエス様に対し、「十字架につけろ!」と叫んだ場面が思い起こされます。どうして人は、自分に反する人を排除しようとするのでしょうか。
427使徒言行録213740
 千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。
(使徒言行録21章40節)
同胞であるはずのユダヤ人から「その男を片づけろ」と叫ばれ、殺されそうになったパウロですが、彼は民衆に弁明をすることを大隊長に願います。ローマの大隊長はパウロがギリシア語を話せることに驚いたようです。
大隊長はパウロのことを、暴動を起こし4000人の暗殺者を引き連れて荒れ野に行ったエジプト人だと勘違いしていたようです。神殿での騒ぎの大きさを考えると、それくらいの人物じゃないとおかしいと思ったのかもしれません。
パウロは黙ってローマ兵と共に神殿を後にしてもよかったと思います。しかし彼は、ユダヤの民衆に語るのです。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」と十字架の上で語ったイエス様に倣っているかのようです。
428使徒言行録2215
 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」
(使徒言行録22章1節)
パウロは弁明を始めます。彼がヘブライ語で話し始めると、民衆は静かになりました。ユダヤ人であっても外国に住み、ヘブライ語を話せなくなる人は多かったからです。ユダヤ人のアイデンティティは言葉ではなく、律法と割礼でした。
パウロはイエス様の福音を伝えるよりも前に、自分の過去について語ります。熱心に律法の教育を受けたこと、神さまに熱心に仕えてきたこと、そしてキリスト者を迫害してきたことです。
教会でも、「信仰の証し」を語り合うことがあります。神さまに背いていた自分がどのようにして信仰に入ったのか、そのことを聞くことによって、神さまの招きを感じることがあります。そのような機会が増えるとよいですね。
429使徒言行録22611
 『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。
(使徒言行録22章10節)
使徒言行録9章に出てくる回心の物語を、パウロは自分の口で語ります。パウロの手紙の中では、あまりこの回心のことは触れられていませんが、今回はユダヤの民衆に対して語っていきます。
回心物語を語るときには、「神さまに背いていた頃」の自分も語らなければいけません。そのため、語るのを躊躇してしまったり、語る相手を選んでしまったりということもあるでしょう。
しかし、その罪や弱さでさえもまとめて受け入れて下さるのが神さまです。自分の弱さを誇りとし、自分の傷を隠さずに歩む。そのような信仰生活を生きることができれば、どれほど素晴らしいでしょうか。
430使徒言行録221216
 アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。
(使徒言行録22章14節)
パウロは強い光の輝きのために、目が見えなくなりました。しかし彼はそれ以前から、本当のものが見えず、キリスト者を迫害してきました。これは神さまが、「あなたは本当は見えていない」ということを教えられた出来事です。
パウロの元に、アナニアという信仰のあつい人がやってきました。彼はパウロに「兄弟」と呼びかけます。教会でも「兄弟」「姉妹」とお互いを呼ぶことがあります。神の家族として、受け入れた証ともいえます。
パウロはこの話をすることによって、ユダヤの人たちも自分は神の家族であるということを、思い出してほしいと思ったのかもしれません。見えなかったものを、自分と同じように見てほしいと願ったのでしょう。

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